鉄砲の火薬作りの技術を活かして

花火の発展

花火打ち上げ筒イメージ

花火の発展

岡崎の徳川家康が1613年の8月に、駿府城でイギリスの使者と花火を見物しています。 この頃から花火は人々の楽しむものとなっていました。 1733年には江戸大川(隅田川)の川開きに花火が打ち上げられ、今日に続いています。 戦国の時代から平和な時代に移り、それまで戦いに重要だった火術からその知識と技術によって花火を製造するようになったのです。

鉄砲の技術

1543年ポルトガル人によって鉄砲が伝えられると、戦国大名たちの求めに応じて鉄砲の製法や火薬の研究が進められました。 1555年頃には九州において鉄砲の製造が始められます。 そして各地の大名たちが使用することで、鉄砲の製造は急速に広まっていきます。 1575年の長篠の戦いで織田・徳川の連合軍が三千挺の鉄砲で武田軍を打ち破ったことで新兵器の威力は知れ渡りました。

火薬の製法

弾を飛ばす火薬の製法は1559年頃に書かれた書物によると、硝石(硝酸カリウム)七割五分、硫黄一割五分、木炭一割で混ぜるとあります。 これは黒色火薬といわれるものです。

花火のルーツ

1600年頃から和製の硝石に関する記録も出てきます。 筒に火薬を込めて連絡や合図に煙を上げる烽火(のろし)、矢の先に火薬の筒をつけた火矢(ひや)の製造も火術家・砲術家の重要な仕事でした。 この頃の火矢などが花火のルーツとなります。